TOKYO BRIDGE WALK

TOKYO BRIDGE WALK Vol.40「丸子橋」

多摩川河口から約13㎞の所に架かる「丸子橋(まるこばし)」は、東京の田園調布本町と川崎の上丸子八幡町を繋ぐ主要な橋として、日々多くの人と車が行き交っています

1934年(昭和9年)、丸子の渡しがあった場所からおよそ200メートル上流に、中原街道の新橋として当時は片側一車線道路の丸子橋が完成しました。

その後、老朽化と交通量増大に対応するため、東京都と川崎市が共同で架け替え事業に着手し、2000年(平成12年)に片側2車線の新しい橋への架け替えが完了し現在の姿になっています。

 

 

2002年(平成14年)に、メディアでも話題となった多摩川に出現したアザラシのタマちゃんは、丸子橋北詰付近で多く目撃され、当時の橋周辺は多くの見物客も訪れ賑わいました

また、丸子の渡しに通じていた中原街道旧道の坂道部分は桜坂と名付けられ、歌謡曲にも取り上げられる桜の名所となっていて、テレビドラマ等のロケ地としてもよく使用されています。

 

 

丸子の渡し

昔、武蔵国の荏原郡と橘樹郡との境界を多摩川が流れ、この地が両郡の交通接点だったことから、丸子の渡しと呼ばれる渡し舟が存在し、府中市史によると835年(承和2年)には既に運航されていたと記述が残っています。

古代の東海道はこの渡しが東京方面への唯一の交通機関だったが、悪天候の日には運航中止となるため、1884年(明治17年)から橋の建設運動が始まり、その後、丸子橋の架橋により丸子の渡しは1934年(昭和9年)に廃止となりました。

2006年(平成18年)に地域住民により「丸子の渡し復活協議会」が結成され、2014年(平成26年)から年に一度「丸子の渡し」を再現するイベントが開催されるようになりました。

 

 

多摩川台古墳群

丸子橋の最寄りの東急東横線多摩川駅の西側の台地に広がる多摩川台公園内には、古墳時代後期の古墳が点在する多摩川台古墳群が残っています。

6世紀前半に円墳の2号墳、その後2号墳を前方部に利用した全長39mの前方後円墳の1号墳、以降に直径15m前後の円墳の3~8号墳が7世紀中頃まで継続して築造されと言われています。

 

 

調査が行われた古墳の石室からは装身具や武器・武具、馬具、土師器、須恵器などが出土し、墳丘からは埴輪が発見され、2000年(平成12年)に都指定史跡に登録されました。

園内にある古墳展示室では、4世紀から7世紀にかけて造られた古墳という巨大なお墓が再現され、そのほか、大田区から世田谷区にまたがる荏原古墳群内のうち、大田区域の田園調布古墳群で出土した大刀や勾玉、埴輪などのレプリカも展示されています。

 

 

多摩川浅間神社

丸子橋の袂に今から800年以上前に創建されたと云われる「多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)」が建ちます。

鎌倉時代の文治年間(1185年~1190年)、右大将源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣の際に、夫の身を案じた妻政子が後を追いますが、わらじの傷が痛み出し、やむなく多摩川畔で傷の治療をすることになります。

逗留手持ち無沙汰解消するために「亀甲山(かめのこやま)」へ登ってみると、富士山がじつに鮮やかに見え、政子は、富士吉田に建つ自身の守り本尊である「浅間神社」の方角に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」を多摩川畔の丘に建てました。

この像を、村人たちは「富士浅間大菩薩」と呼び永く尊崇し、これが多摩川浅間神社のおこりと云われています

 

 

日頃、何気なく渡る橋にも、毎日通る道にも歴史ある風情が残っているでしょう。

是非この機会に、いつもの街を少し視点を変えて散策してみてはいかがでしょうか。