熊本県では大正時代からブドウ栽培が行われていましたが、雨や台風の影響を受けやすいことから、ワイン用のブドウ栽培は不向きと言われてきました。
1998年にワイン用のブドウ栽培が始まり、翌年にはワイナリーが設立されると、ブドウ栽培には適さないと言われていた土地で、栽培農家と醸造家の情熱によって本格的なワイン造りが始まりました。
その情熱でゼロから造り上げ、最高品質を追究し続けた結果、近年では国内外のコンクールで数々の受賞を受けるほどの素晴らしいワインが造られるようになりました。
ワイン畑が多く広がるのは、大分県と福岡県の県境の山鹿市を中心とした県北部一体で、山間部では昼夜の寒暖差が大きく、水はけの良い砂質土壌が分布していて、シャルドネが最も多く栽培されています。
豊前街道
熊本から北に進み、植木、山鹿から南関を経て豊前(現在の北九州市小倉)までの道すじは「豊前街道」と呼ばれ、近世になって参勤交代などに利用されるようになると、街道沿いの町は宿場として賑わいました。
菊池川と豊前街道が交差する熊本から最初の宿泊地となっていた山鹿の地には、米などの物産が集められる重要な場所となり、米を材料とした産業や独自の文化が発展しました。
造り酒屋や麹蔵など古い建物が並ぶ町なみは、今でも昔の面影を残しています。
鞠智城跡
7世紀後半(約1300年前)に大和朝廷が築いたとされる山城です。
当時は、東アジア(中国大陸から朝鮮半島にかけて)の国同士は、とても難しい関係にあり、大和朝廷は、友好国であった百済に援軍を送りますが、663年の「白村江の戦い」で唐と新羅の連合軍に敗れてしまいす。
唐が攻めてくることを恐れた朝廷が、守りを固めるために鞠智城などの山城を築いた云われています。
これまでの発掘調査で、たくさんの貴重な発見があり、八角形建物(鼓楼)や米を保管した米倉、防人たちが寝起きした兵舎など、多くの建物の跡が見つかり、池の跡で見つかった菩薩像からは、百済とのつながりがあったことがわかりました。
八千代座
明治43年(1910年)に建築された芝居小屋は、当時の町人たちが資金を出し合い、江戸時代の伝統的な様式で造られました。
八千代座の開業とともに、様々な催しが行わるようになると山鹿に賑わいをもたらしていきました。
しかし、家庭にテレビが普及し始めた昭和40年代に入ると、客足もまばらになると閉館となります。
屋根には穴が開くなど八千代座は荒れ果ててしまいますが、不要といわれた八千代座を救うために立ち上がったのが、老人たちと若者たちでした。
「瓦一枚運動」をきっかけにして、人々の復興への思いが高まり昭和63年(1988年)に国の重要文化財に指定され、「平成の大修理」によって復原されました。
山鹿灯籠浪漫・百華百彩
かつて、和傘の大産地であった山鹿を「当時の風景を蘇らせる賑やかな祭りができないものか」との想いから、地元住民の手作りによって誕生した「山鹿灯籠浪漫・百華百彩」は、今では、熊本の冬の風物詩として知られるようになりました。
風情溢れる豊前街道の古き良き町並みを、和傘や竹を使ったオブジェが鮮やかに彩り、数千もの蝋燭の灯りが幻想的な世界を創り出し、訪れた者の心を打ち、まるで時空を超えたような気持ちにさせてくれます。
重要文化財の芝居小屋「八千代座」では伝統芸能に目を奪われ、五感で味わう醍醐味に酔いしれ、仄かに揺れる灯りに包まれながら、山鹿ならではの世界を感じることが出来るでしょう。
是非この機会に、美味しいワインとの出合いと、山鹿市の歴史と観光を堪能できる旅の計画を立ててみてはいかがでしょうか。