「弁慶橋(べんけいばし)」は、外堀通りの赤坂見附交差点から紀尾井町通りへの入口に位置し、昔の雰囲気ある親柱や欄干が、周囲の近代的なビル群の中で、とても面白い存在感を漂わせている。
かつて、四谷見附からぐるっりと呉服橋まであった江戸城南側の外堀は、今ではそのほとんどが埋め立てられ道路などに変わり、唯一「堀」の形態を残している「弁慶堀」とそこに架けられた「弁慶橋」が「江戸城外堀跡」として、共に文化財指定されている。
現在の橋は、1985年(昭和60年)12月に改築された、全長41.06m、幅22mの鉄筋コンクリ-トの橋になったが、変わらぬ和風の美しい橋の姿は、東京の名所として永年親しまれ、春の桜、冬の雪景色などを背景とした絵葉書や、多くの写真・絵画の題材にもなっている。
改築前の弁慶橋親柱には、筋違橋・日本橋・一ツ橋・神田橋・浅草橋の古い擬宝珠を集めて被せてあったようだが、現在では、それら古い擬宝珠は用いられていないのは残念だ。
架橋と橋名
弁慶橋が架けられたのは1889年(明治22年)のことで、それまでの周辺住民は江戸城内への行き来に、堀沿いの東にあった赤坂門へ迂回しなければならないという不便があったようだ。
江戸時代、神田の鍛冶町から紺屋町・岩本町辺りを流れていた藍染川に、江戸城普請の大工の棟梁であった弁慶小左衛門によって架けられた橋が「弁慶橋」と呼ばれていた。
その弁慶橋が1885年(明治18年)にその役目を終え廃橋となると、現在の場所に、その廃材を用いて架け替えられたことで、「弁慶橋」の名前を継承されたといわれている。
賑わう紀尾井町
赤坂見附交差点から弁慶橋を渡るとそこは歴史ある街「紀尾井町」。
江戸時代、弁慶堀北側の一帯に「紀州徳川家」「尾張徳川家」「井伊家(彦根藩)」の屋敷があったことから、それぞれの頭文字をとって「紀尾井町」と呼ばれるようになり、弁慶橋から北へ延びる道は紀尾井町通りとなった。
現在、2017年(平成29年)に東京ガーデンテラス紀尾井町が竣工されて、通りは多くの人で賑わっているが、橋の架けられる前の清水谷公園前の道は、人通りも少なく寂しい道だったようだ。
春の夜景
さくらのシーズンに、弁慶橋から見る東京ガーデンテラス紀尾井町の「テラスの小道」のイルミネーションはお勧めだ。
桜並木には赤、ピンク、緑、青の単色によるライトアップや一度に数色のライトアップなど変化に富んでいて、弁慶堀の水面に反射するイルミネーションが見る人の気持ちを高揚させてくれる。
また周辺には、紀伊和歌山藩徳川屋敷跡や、尾張名古屋藩屋敷跡など、江戸城に関連した観光名所もあるので、ゆっくり散策を楽しめるだろう。