神田川と日本橋川の合流点の直ぐ上流に架かる「小石川橋(こいしかわばし)」は、小規模な鋼製の橋ですが、その歴史は古く、江戸時代の小石川門があった所で、当時は「小石川門橋」とも呼ばれていました。
明治5年(1872年)、城門の撤去とともに新しい木橋に架け直され、明治28年(1895年)には、甲武鉄道の飯田町駅が近くにできて多くの人で賑わい始めると、利用者の増加に備えるため、同年、橋も修繕が加えられました。
その後、橋は関東大震災で被災し、昭和2年(1927年)に鋼橋として架けられますが、老朽化のため、平成24年(2012年)に改修され現在の姿になりました。
小石川橋の名前の「小石川」というのは江戸時代からあった地名で、「小石」が沢山ある川、即ち「小石川」が「伝通院(でんつういん)」の前を流れていたことからつけられた名前のようですが、残念ながら小石川は、現在は暗渠となっています。
小石川門跡
江戸城外郭門のひとつの小石川門は、寛永13年(1636年)岡山藩(現在の岡山県)藩主池田光政によって築造されました。
明治維新後、明治5年(1872年)に枡形石垣が取り壊され、その石材を利用して明治10年(1877年)に日本橋川下流の常磐橋の石橋が建造されました。
小石川後楽園
橋の界隈には史跡も多く、中でも東京都文京区後楽にある東京都立公園の「小石川後楽園」は、文化財保護法により特別史跡及び特別名勝に指定されています。
水戸徳川家初代藩主である徳川頼房(よりふさ)が築いた庭園を、第二代の水戸黄門で知られる光圀(みつくに)によって改修された7万平方メートル以上の広大な園内は、四季折々の素晴らしい景色を楽しむことができます。
光圀が付けたものといわれる「後楽園」の名前は、中国の「岳陽楼記(がくようろうき)」にある「天下の憂に先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という言葉にちなんで命名されたと言われています。
東京ドーム
昭和9年(1934年)、日本ではじめてのプロ野球チーム「大日本東京野球倶楽部(現在の巨人軍)」が設立され、そして程なくして球場付属の球団をつくるという気運が高まり、昭和12年(1937年)9月に後楽園球場が誕生します。
テレビが普及した昭和40年代には、日本のプロ野球は娯楽の王様となり、昭和49年(1974年)、「ミスター・ジャイアンツ」長嶋茂雄の引退試合が行われ、昭和51年(1976年)には、王貞治が球聖ベーブ・ルースの記録を超える715号のホームランを放つなど、後楽園球場では様々な記録とメイクドラマが生まれました。
昭和62年(1987年)後楽園球場も役目を終えると、昭和63年(1988年)に、日本初のドーム球場の東京ドームが完成し、3月18日にこけら落としの試合として巨人対阪神戦が行われ、巨人軍の吉村禎章がドーム初のホームランを放ちました。
今では、野球以外のイベントも多く開催され、これからも東京ドームでは様々な歴史が作られていくことでしょう。
三崎稲荷神社
創建は詳かではないが、鎌倉時代の建久年間より前の仁安の頃と伝えられ、室町時代中期には神田山(現在の駿河台)の山麓(現在の本郷)武蔵国豊島郡三崎村に鎮守の社として祀られたとされ、その後何度か移転を繰り返し、明治38年(1905年)に現在地に遷座されています。
三代将軍徳川家光が崇敬し、登城する大名は必ず参拝し心身を清めたことから「清めの稲荷」とも称されています。
日頃、何気なく渡る橋にも、毎日通る道にも歴史ある風情が残っているでしょう。
是非この機会に、いつもの街を少し視点を変えて散策してみてはいかがでしょうか。