神田小川町交差点を本郷方面へ緩やかな登り坂を歩いて行くと、右手には紅梅坂に沿って日本ハリストス正教会復活大聖堂、通称ニコライ堂が見えてくる。
そのビザンチン風建物を横目に少し行くと、御茶ノ水駅と神田川をまたぐように架けられた、綺麗な放射線を描く、コンクリートのアーチ橋こそが「聖橋(ひじりばし)」だ。
景観に溶け込むモダンアート
聖橋は、墨田川から神田川を上流へ2.2Kmほどの所にある下流から数えて9番目の橋で、1923年(大正12年)9月に発生した関東大震災の復興橋の一つとして、当時の総工費72万4,807円を投じ、2年3ヶ月の歳月を要して1927年(昭和2年)7月に完成した。
橋長92.47m、幅22mで、神田川の景観に美しく溶け込んでいる橋としても有名であり、一度は写真で見たという人も多いのではないだろうか。
「聖橋」という橋の名前は、当時の東京府東京市(現東京都)が公募し、両岸に位置する2つの聖堂、北側にある江戸幕府の官学所となっていた「湯島聖堂」と、南側にある重要文化財の「日本ハリストス正教会復活大聖堂(ニコライ堂)」の両聖堂を結ぶことから命名されたという。
日本文化と西洋文化の両極を結ぶ聖橋は、なんとも不思議でロマンチックな想いを感じさせてくれる。
ちなみに、「お茶の水」とは将軍のお茶用の湧き水があったことから名付けられたものと言われているが、現在の行政上の地名としては存在していない。
船から見上げた時に最も美しく見えるようにデザインされた立体的な橋脚美は、架橋当時から東京の新名所となり、1930年(昭和5年)に架橋された北区滝野川の音無橋のモデルにもなっている。
日常の通勤、通学で何気なく見えている風景も、改めて見てみると関東大震災からの復興への強い想いや、昭和のロマンが垣間見える。
JR御茶ノ水駅のホームから見る眺めは、当時の船上からの景色に近いと言われているので、駅の工事が終わったら一度ゆっくりと鑑賞しに行ってみるのも良いのではないだろうか。