TOKYO BRIDGE WALK

TOKYO BRIDGE WALK Vol.12「清洲橋」

ブルーボトルコーヒー1号店がオープンして以降、珈琲の街として注目を集める清澄白河は、江戸期以来の下町情緒に溢れ、緑豊かな清澄庭園と水辺の景色が楽しめる街。 

街の数ある散策スポットの中でも、存在感を見せているのが隅田川に架かる「清洲橋(きよすばし)」です。

 

女性的シルエット 

清洲橋は、関東大震災の震災復興事業で架けられた隅田川橋梁群のひとつとして、1928年(昭和3年)に架橋されました。 

橋長186m、幅25mの鋼鉄製吊橋で、当時、世界で最も美しい橋と言われていたドイツのケルンにあったヒンデンブルグ橋の大吊橋をモデルにしている。 

隅田川橋梁群の中において、シルエットが男性的と言われる永代橋に対し、清洲橋の支柱間の優美なアーチは、女性美なシルエットの代表とも言われている。 

 

 

そのシルエットに反して、構造は非常にガッチリとしていて、近くで見ると青の塗装も相まって骨太で男性的な印象も受ける。 

架橋当時の最先端技術が駆使された隅田川橋梁群は、同じ形式の橋は造らず、それぞれに異なった形式を採用した事で、橋梁群全体はもちろん、それぞれの橋が土木建築遺産として高い評価を得た、中でも最も美しいと言われる清洲橋は、後世に語り継ぐ事のできる人気の高い橋となった。 

残念ながらモデルとなったヒンデンブルグ橋は、第二次世界大戦時に爆撃を受けて破壊されてしまい現存していない。 

 

 

橋の東岸の清澄町は、セメント工場の発祥地として知られ、西岸の中州町は1771年(明和8年)に一度埋め立てが開始するも取り壊され、再び1886年(明治19年)に埋め立てられた経緯のある場所で、その清澄町と中洲町を結ぶ橋であったことから名は「清洲」と付けられたと言われている。 

 

歴史を知る街並み 

橋の北東の常盤一丁目は、1917年(大正6年)に「芭蕉遺愛の石の蛙」が出土したことから、1921年(大正10年)当時の東京府がこの地を「芭蕉翁古池の跡」として指定した。 

1981年(昭和56年)松尾芭蕉の業績を顕彰するため、ここに芭蕉記念館が建てられている。 

江戸時代の街並みと人々の暮らしを再現した、江東区深川江戸資料館では、江戸時代へタイムスリップしたような感覚が楽しめ、界隈の食事と言えば、アサリたっぷりの「深川めし」が知られている。 

東橋詰には、1776年(安永5年)日本で初めてエレキテルの復元修理に成功させた、平賀源内の自宅があったことで「平賀源内電気実験の地」と刻んだ碑が建っている。 

夜になってライトアップされると、また違った橋の姿を楽しむことができる。 

 

 

特に橋の上から眺める周辺の景観は一見の価値ありで、東京スカイツリーの夜景スポットとしてもオススメしたい。 

歴史ロマンと、ケルンの眺めと言われる隅田川と小名木川の織り成す景色に、ヒンデンブルグ橋の面影に触れながら、ハイカラという言葉が似合う街並みを散策しに出かけてみてはいかがだろうか。