神戸の名物と言えば、多くの人が「神戸ビーフ」と答えると思いますが、隣の稲美町には、明治維新の殖産興業政策の一つとして日本における西欧葡萄の栽培とその加工試験を行い、成果を全国に伝えるため、明治13年(1880年)3月に開設された日本初のワインが生まれたと云われる「播州葡萄園」があり、神戸はワインの産地としても知られています。
また、神戸市は全国を代表する大都市として、様々な先駆的施策や事業が行われ、戦災や水害、震災など幾度となく災害に見舞われるもその苦難を乗り越え、今では、多くの外国人も訪れる人気の観光地の一つです。
神戸ポートタワー
神戸のランドマークとして知られる「神戸ポートタワー」は、平成7年(1995年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災の災禍に耐え、その優しく美しい姿に多くの神戸市民が勇気づけられた神戸のシンボルです。
高さは108メートルの日本古来の楽器「鼓」を縦に引き伸ばしたような独特なフォルムに、タワーとしては世界初となるパイプ構造で建設されました。
昭和37年(1962年)8月、神戸港の開港90周年を記念する事業として工事が始まり、着工間もなく想定外の事態が発生するなど難局を乗り越えた後、東京タワーの開場から遅れること5年、美しいシルエットのタワーが神戸の港に姿を現しました。
神戸の港に美しくそびえるタワーの建設には、難工事に挑んだ多くの人たちの人知れない努力があったのです。
珈琲タウン神戸
慶応3年(1867年)の神戸港開港以来、西洋文化を受け入れてきた神戸の街には、舶来の新たな物の数々の中に、珈琲がありました。
明治時代には珈琲豆の輸入が始まった神戸では、全国でもいち早く提供する店が登場し、多くの珈琲焙煎業者が街に根づくと、街を歩けば珈琲店の看板をよく目にするようになりました。
食文化の一つとして、また地場産業として発展した珈琲の歴史は、今も独自の喫茶文化を発信する喫茶店として、珈琲タウン神戸のあちらこちらに残っています。
NHKテレビドラマ「風見鶏」
大正初期、和歌山太地で生まれた育った主人公は、ドイツ人のパン職人と出合い神戸で結婚し夫婦でドイツパン店を開業する。
夫は息子を連れて一時ドイツに帰国すると、戦争で一家は離れ離れにってしまうが、2人の帰りを信じてパン作りに精を出す主人公に、在日外国人からは「われらの母」と慕われた女性を描いた作品です。
このドラマ放送が、全国的に洋館ブームを引き起こし、これをきっかけに神戸北野の街には多くの観光客が訪れるようになってと言います。
今では多くの人に知られる北野異人館街ですが、神戸市では、ドラマ「風見鶏」の放送が開始された1977年10月3日を記念して、毎年10月3日を「神戸観光の日」と定めています。
南京町
横浜中華街、長崎新地中華街と共に、日本三大中華街の一つとして知られる南京町の誕生は、慶応3年(1867年)の神戸港開港からといわれています。
当時の中国最後の王朝清国は、日本と条約非締結国であったため、外国人居留地に住むことが出来ず、その西側に隣接する現在の南京町のあたりに居を構え、雑貨商、豚肉商、飲食店などを始めたことから、中国人が多く住む町となり「南京町」「南京街」と呼ばれるようになったと云われています。
昭和初期には町は評判となり、関西の台所として大いなる繁栄をみせますが、昭和20年(1945年)の神戸大空襲で元町一帯は全焼し、戦後はバラックが立ち並ぶ闇市となり、やがて外国人バーが林立する裏通りに変貌してしまいました。
昭和50年代に入り、神戸市の区画整理事業の対象に南京町一帯がなったことで、商店主たちが「南京町を復活させよう」と南京町商店街振興組合を設立し、かつての繁栄を取り戻すために中華街としての町づくりをスタートさせ、名称を「南京町(なんきんまち)」に統一し、細部にわたって整備を重ね、今の「南京町」を誕生させたのです。
この機会に、舶来文化をいち早く取り入れた神戸の歴史触れ、魅力あふれる街を散策しながら、美味しいいワインとの出会いの旅を、計画してみてはいかがでしょうか。