真っ赤な果物と言えば。りんご、さくらんぼ、そして「いちご」。
いちごは11月頃から店頭に並び、3月にピークを迎え、初夏まで続く果物として定着していますが、本来は4~5月をピークとした春から初夏の果物として露地栽培されていたのです。
なぜ旬の季節が春から冬に変化したのか、その背景には品種改良や育苗技術の発達、そして施設栽培の普及に併う作型が進歩を遂げた事で、収穫時期をより早く、長くすることが出来たのです。
いちごの栽培
連作も可能とされるイチゴは、暖かくなるとランナーと呼ばれる匍匐枝を伸ばし、その先に子苗ができる性質を利用して、ランナー切らずにそのまま育苗ポットに植えて根付かせることで、翌年栽培用の新苗が作れます。
親株に近い小苗は奇形果が生じやすいといわれ、栽培では2番目か3番目の小苗が使われていて、苗は親株につながっていたランナーとは反対方向に花と実ができるので、植え付けの際には実をならせたい方向に植え、株元のクラウンと呼ばれる小さな葉のようなものが土に埋まらないように浅めにして畝に植え付けると良いようです。
伝染病予防や保温のために、畝に敷き藁やマルチングを施し、苗が根付くまでに1週間ほどかかるため、水切れを起こさないように管理が必要で、冬越しは、寒さから守るために寒冷紗などのトンネルがけで保護し、追肥は冬越し期間中は行わずに晩秋と早春に行って株を充実させます。
春に暖かくなると株は一気に生長し、4月ごろから開花が始まり、開花期に伸びたランナーは実に栄養が集中するようにすべて切り取り、開花から30~40日後に実が赤く熟して収穫期を迎えたら順次収穫できます。
いちごの歴史
いちご栽培の歴史は18世紀のオランダが始まりと言われていて、南アメリカ原産のチリ種と北アメリカ原産のバージニア種のかけ合わせから、今のようないちごが栽培されるようになったようです。
日本には江戸時代末期にオランダ船で長崎に観賞用として持ち込まれた事が始まりで、当時はオランダいちごと呼ばれていました。
栽培用の品種はアメリカから明治の初めに持ち込まれましたが定着せず、日本風土の中で選抜され育成された品種の「福羽(ふくば)」が実も大きく、味も良い事で世界にも知られるようになり、日本でもいちごが果物として定着したようです。
名前の由来
「いちご」の語源ははっきりとはしていませんが、古くは「本草和名」や「倭名類聚抄」に「以知古」とあり、「日本書紀」には「伊致寐姑(いちびこ)」、「新撰字鏡」には「一比古(いちびこ)」と記されていて、これが古形であると推測されます。
平安時代の「枕草子」には、野いちごを意味する「覆盆子(いちご)」の文字が2ヶ所に登場し、覆盆子の和名を「本草和名」では、「加宇布利以知古」とされていて、近代にオランダイチゴが舶来するまでは「いちご」は野いちご全般を指していたようです。
現代の辞典によっては「莓」が見出しになっていて、「苺」は本字としていることがあるようで、日本では「苺」、中国では「莓」を使うのが通例とされています。
英語の「strawberry」は「藁(straw)のベリー(berry)」と解釈できますが、そう呼ぶ理由は定かではありません。
今では、子供から大人まで、そしてお年寄りにも人気が高く、その形と色から深紅のダイヤモンドとも称され、多くの人々から親しまれているいちごは、日本での生食の消費量はなんと世界一とも言われています。