TOKYO BRIDGE WALK

TOKYO BRIDGE WALK Vol.50「浜離宮大手門橋」

「浜離宮大手門橋(はまりきゅうおおてもんばし)」は、その名の通り浜離宮の大手門の手前に架かる橋で、JRや地下鉄の駅に近く、浜離宮を訪れる多くの人が利用しています

浜離宮の北側にありながら「南門橋」とも呼ばれ、その由来は、明治時代、浜離宮の北側には海軍省(後の築地市場の敷地)があり、その南門前に架かる橋が「南門橋」であった事からと云われています

橋の創架は、安藤菊二の「浜庭薬園考」によれば1669年(寛文5年)とされ、立派な城門の前に架かる木橋の高欄には、江戸城の濠に架かる橋と同様に擬宝珠が付けられていました。

関東大震災の際に城門とともに木橋は火災で焼失し、震災復興で現在の形に架け替えられています

 

 

浜離宮恩賜庭園

江戸由来の汐入の池が拡がる回遊式庭園と近代的なビル群を望む浜離宮恩賜庭園は、現代の東京を代表する景観として、都民は勿論のこと近年では多くのインバウンド客で賑わっています

その歴史は、江戸時代前期まで遡り、四代将軍徳川家綱の弟で甲府宰相と呼ばれた松平綱重が、将軍家の鷹狩場であった芦原が拡がる「芝」の海岸線を下賜されると、埋め立てを行い1654年(承応3年)に下屋敷として別邸を建てました

その後、綱重の子の綱豊(家宣)が6代将軍になると将軍家の別邸となり「浜御殿」と呼ばれるようになり、何度かの改修を経て11代将軍家斉のことには現在に近い姿になったと云われ、明治維新後は皇室が所有し「浜離宮」に改名されると、1869年(明治2年)には敷地内に日本初の迎賓館となる「延遼館」が建設され、グラント米国前大統領をはじめ多くの賓客が滞在しています

1889年(明治22年)に建物は老朽化により撤去され、その後、関東大震災や戦災によって、御茶屋など貴重な建造物や樹木が焼失してしまうが、終戦後には東京都に下賜されると、1946年(昭和21年)4月から都市公園として一般公開されています

 

 

イタリア公園

浜離宮恩賜庭園の西側に位置する汐留のイタリア公園は、イタリアから「日本におけるイタリア2001年」を記念して寄贈された公園で、約3,660平方メートルの敷地のデザインはイタリア人により設計され、トスカーナ・ルネッサンス様式の本格的なイタリア式庭園となっています

整形式の美しい植栽の本格的なイタリア式庭園の外観と、イタリア製の12体の彫刻に噴水が特徴で、秘密の花園を思わせる生垣に公園は囲われ、高さの異なる複数の生垣と、その中に配置された彫刻とのコントラストが異国情緒を創り出し、花壇には、バラが植えられており、花の咲く時期には目を楽しませてくれます。

汐留イタリア街に隣接する公園の東西には、首都高速都心環状線とモノレールが通り、南北は高層ビルに囲われた大都会の中のオアシスとして、汐留地区に美しい景観をつくる空間の一つになっています。

 

 

築地大橋

臨海部の開発に伴って架けられた「築地大橋(つきじおおはし)」は、浜離宮大手門橋前を通る環二通りが隅田川を渡る橋梁で、隅田川の最も下流にあり、2015年(平成27年)に完成した新しい橋です。

永代橋や勝鬨橋などの隅田川の伝統的な3径間のア-チ形式を引き継ぎながらも、重厚な勝鬨橋に代わる隅田川で海に一番近い第一橋梁として、特徴的なシルエットは優美で頭上に横繋ぎ材の無い開放感のある個性的なア-チ橋となっています

橋の形式は、「新技術の適用など、隅田川橋梁群の知的伝統を受け継ぐ橋」「文化財としての評価を受けている既設橋に見劣りしない、隅田川第一橋梁と認識するにふさわしい橋」「隣接する勝鬨橋と景観的に調和する橋」「観光の名所となる橋」「力学的に安定し、美しく、長寿命な橋」をコンセプトとして、これらを実現する橋として決められました。

築地大橋は、橋梁・鋼構造工学に関する優秀な業績に対して授与される土木学会田中賞を2018年(平成30年)に受賞しています。

 

 

日頃、何気なく渡る橋にも、毎日通る道にも、その街の歴史や風情を見に、是非この機会に、いつもの街を少し視点を変えて散策してみてはいかがでしょうか。