京成本線千住大橋駅から徒歩5分程の位置にある国道4号線の隅田川に架かる「千住大橋(せんじゅおおはし)」は、下り方面の旧橋と登り方面の新橋の二橋で構成され、北岸の足立区千住橋戸町と、南岸の荒川区南千住六丁目を繋いでいる。

千住大橋は、徳川家康が江戸に入府して間もない文禄3年(1594年)に、現在より上流200mほどの所に隅田川最初の橋として架橋され、当時は「渡裸川の渡し(戸田の渡し)」と呼ばれる渡船場があり、古い街道筋にあたった場所と云われていて、架橋当初は「大橋」と呼ばれていました。
万治2年(1659年)に、両国橋が架橋されると「千住大橋」と呼ばれるようになり、足立区側に設けられた千住宿は、次第に千住大橋を越えて荒川区側の小塚原町・中村町まで拡大し、明治時代には千住宿南組と呼ばれるようになり、現在の地名である南千住の由来となりました。

この辺りは、江戸の北の玄関口でもあり、松尾芭蕉の「奥の細道」への旅立ちの地としても知られ、また、歌川広重の「名所江戸百景」千住乃大はしにも描かれました。
現在の下り方面の旧橋は、昭和2年(1927年)に架け替えられたブレースドリブ・タイドアーチ型の鉄橋で、歴史的な土木構造物として注目されています。

素盞雄神社
千住大橋の南側に鎮座する素盞雄神社は、「素盞雄大神(すさのおおおかみ)」と「飛鳥大神(あすかおおかみ)」を御祭神とする、荒川区内でもっとも広い氏子区域をもつ神社です。
創建は、神社の開祖である僧侶の黒珍の住居の東方小高い塚上に奇岩があり、それを霊場と崇め日夜斎戒礼拝すると、平安時代の延暦14年(795年)4月8日の夜、小塚の中の奇岩が突如光を放ち二柱の神様が翁に姿を変えて現れ、「吾れは素盞雄大神、飛鳥大神なり、吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん。」と御神託を授け、二柱の神が降臨した小塚の中の奇岩を丁重にお祀りした事が始めりとされています。
江戸時代の享保3年(1718年)、素盞雄大神、飛鳥大神の両社殿は類焼により炎上のため、享保12年(1727年)に相殿として二柱を祀る御殿を新たに建築し奉斎され、荒川区南千住・三河島・町屋・台東区三ノ輪の区内で最も広い氏子区域61ヶ町の鎮守で、平成7年には御鎮座1200年祭が厳粛盛大に斎行されました。

千住隅田川テラス
北区の岩淵水門を起点とし東京湾に注ぐ隅田川は、流域のほぼすべてにあたる約50㎞に高い防災性能を持つスーパー堤防と遊歩道の「隅田川テラス」が整備されています。
周辺住民を災害から守るとともに、都内の親水施設として憩いの場を提供しているテラスは、防災機能を拡げるために現在も整備が進められていて、千住大橋のたもとにあたる千住橋戸町付近は新たに整備された一帯で、きれいな遊歩道から、千住大橋と隅田川が作り出す下町の景色を眺めることができます。

日頃、何気なく渡る橋にも、毎日通る道にも、その街の歴史や風情を見る事が出来ます。
是非この機会に、いつもの街を少し視点を変えて散策してみてはいかがでしょうか。



