TOKYO BRIDGE WALK

TOKYO BRIDGE WALK Vol.24「中央大橋」

中央区佃と新川結ぶ「中央大橋(ちゅうおうおおはし)」は、1994年(平成6年)1月に開通した平成の時代に隅田川に初めて架橋された橋として知られています。

 

 

この橋ができたおかげで東京駅八重洲口に直結した佃島は、自転車で東京駅まで行けるほど便利になると、佃のマンションは人気となり、界隈には億ションと言われる高層マンションが立ち並ぶようになりました

 

 

32本のケーブルが斜めに貼られたとても美しい中央大橋は、夕刻から22時までは、白色の水銀灯と暖色系のカクテル光でライトアップされ、日中とは違った優美な姿を魅せてくれます。

 

フランス・セーヌ川との友好

隅田川はフランスのセーヌ川と1989年(平成元年)に友好河川として提携しています

その繋がりから、フランスのデザイン会社に橋の設計を依頼した事で、主塔および欄干部分に日本の「兜」を意識した特徴的な意匠が施されたようです

また、上流側の中央橋脚部には当時のパリ市長であったジャック・シラク氏から東京都に友好の印として贈られた彫刻家オシップ・ザッキン作の「メッセンジャー」と名づけられた彫像が鎮座しており、このお礼にパリ市には「屋形船」が寄贈されています

 

 

彫像は川側を向いて造られており、橋の歩行者からは背中しか見えないのが少し残念ですが、正面を見たい方は、橋をくぐる水上バスから見るか遠めにはなりますが墨田川テラス(新川公園側)からる事ができます。

 

佃エリア

佃島は、徳川家康が幕府を江戸に置くにあたり、京の上る際に縁ができた摂津国佃村の漁民を江戸に呼び寄せ、ここに漁村を作った事が始まりとされます。

幕府は佃島の漁民たちに江戸近海で優先的に漁が出来る様な特権を与えて保護するようになると、毎年冬から春にかけては白魚漁がさかんに行われ風光明媚な場所として知られ、浮世絵にも度々描かれるようになりました。

 

 

葛飾北斎作「冨嶽三十六景 武陽 佃島」では、西の空が夕暮れに染まる時間帯、人を乗せる船、物を乗せる船、漁船など、さまざまな用途の船が島の周囲を行き来する風景が描かれています。

「佃煮」の由来が佃島にあるのは有名な話ですが、佃煮は、佃島の漁民が江戸湾内で獲った小魚などを煮て保存食として作ったもので、今でも江戸時代から創業している3軒の佃煮屋さんが営業を続けています。

 

 

新川エリア

江戸時代には、越前福井藩主・松平越前守の屋敷があり、その周辺は「越前堀」といわれる運河で囲まれていましたが、時代とともに運河は埋め立てられると、同時に町名も「新川」に改められました。

「越前堀児童公園」の敷地内に立つ「霊巌島の碑」には、この地のそのような歴史が刻まれています

証券取引所や証券会社が集まっている日本橋茅場町や兜町にも近く、隅田川沿いのオフィスビル群が洗練された雰囲気を作る一方で、いちご大福で有名な「翠江堂」、にっぽんの洋食屋さん「津々井」など多くの老舗や寺社が残る新川は、昔ながらの江戸情緒溢れるとしても知られています

 

 

日頃、何気なく渡る橋にも、毎日通る道にも歴史ある風情が残っているでしょう。

是非この機会に、いつもの街を少し視点を変えて散策してみてはいかがでしょうか。