東京メトロ竹橋駅1a出口を出てすぐのところには、かつて江戸城内曲輪15門の一つ竹橋御門が置かれていて、その郭門橋として「竹橋(たけばし)」が架けられました。
現在は、内堀通りを大手町から走って来ると代官町通りの起点となるのが竹橋で、ここから千鳥ヶ淵交差点までは緩やかな上りが続きます。
竹橋門の枡形は1620年(元和6年)に、平川門と同じく仙台藩主伊達政宗らによって造られ、内郭の城門として備えにあたりました。
天下祭り(神田明神と日枝神社の例大祭)の山車行列が通過した事でも知られる門は、現在は撤去されてしまったが、平川門へつながる細長い帯曲輪は健在です。
この門と橋に「竹橋」と名づけられた由来には諸説あるようです。
一つに、竹を編んだ簡単な橋が架かっていたことからと言う説。
二つに、後北条家の家臣、在竹四郎が近在に居住しており「在竹橋」と呼んだのが変じたと言う説。
三つに、梅竹の意として、辰ノ口に対する虎ノ門、梅林坂に対する竹橋と言う説。
ただしいずれも定かではないようです。
御春屋(おつきや)
江戸時代、竹橋御門と平川御門に面した一帯には、江戸城内で消費する幕府蔵米の精米や餅を搗く「御春屋」がありました。
春には「臼で米を搗く」という意味を持つようで、籾を脱穀したあとの玄米を精白するのが御春屋とされ、江戸城内で使われる食材や燃料などを一括集荷管理する施設であったようです。
現在では、毎日新聞社などが入るパレスサイドビルや2021年に建て替えられた丸紅本社ビルが建ち、皇居の水堀と神田オフィス街や首都高速道路竹橋ジャンクションなどに囲まれています。
東京国立近代美術館
東京国立近代美術館は、1952年(昭和27年)に中央区京橋に建っていた旧日活本社ビルを改装し、日本で最初の国立美術館としてその活動をスタートさせました。
所蔵作品の増加や企画展の拡充等により、コレクション展示が次第に制約され移転が検討されると、1969年(昭和44年)、千代田区北の丸公園の現在地に新館が建設されました。
19世紀末から今日までに、横山大観、菱田春草、岸田劉生らの重要文化財を含む、幅広いジャンルにわたる日本美術の名作と、海外の作品もまじえた13,000点を超える国内最大級のコレクションを所蔵している。
会期ごとに選りすぐりの約200点の所蔵作品を展示する「MOMATコレクション」は、100年を超える日本美術の歴史を一気に鑑賞することができる国内随一の作品展です。
竹橋事件
明治時代には、橋西詰に天皇を護衛する「御親兵」として、薩摩、長州、土佐の藩士から選抜された新政府直属の近衛砲兵大隊竹橋部隊が駐屯していました。
1878年(明治11年)、西南戦争後の処遇を巡って、同部隊の兵士らが中心となって武装蜂起する騒乱が起きました。
1926年(大正15年)に現在のアーチ型の橋が架橋され、1993年(平成5年)には、白・黒・桜のみかげ石を使用して周辺景観との調和や補強の為に改修されました。
別名「御内方通行橋」とも呼ばれていた皇居の森を望む竹橋周辺は、古くから多くの有力者が屋敷を構え、現代に至るまで数々の歴史の舞台となり、歴史好きの人には興味深い散策エリアとなっています。
日頃、何気なく渡る橋にも、毎日通る道にも歴史ある風情が残っているでしょう。
是非この機会に、いつもの街を少し視点を変えて散策してみてはいかがでしょうか。