目白通りの豊島区目白一丁目と雑司が谷との境界にある、鋼ヒンジアーチ構造の明治通りと立体交差する跨道橋が「千登世橋(ちとせばし)」です。
昭和7年(1932年)に架橋され、道路の立体交差としては日本初ともいわれており、土木技術的価値の高い橋として「東京都の著名橋」に指定されています。
平成2年(1990年)には街の美観と調和させるため、親柱、橋欄橋側灯、橋詰広場等が指定を機に旧来の姿に修復されました。
橋の東側に位置する千登世小橋で、明治通りに沿って走る都電荒川線を跨ぎ、橋の西にJRの目白駅・学習院大学、橋の東北に都電荒川線の鬼子母神前停留場、東京メトロの雑司が谷駅があります。
周辺は目白台地と関口台地の境目になり、高台のため付近にはのぞき坂などの急坂も多く、橋はこれらの高低差ある地形を活かした設計となっている。
学習院大学
橋西側に建つ学習院大学は、江戸時代後期の弘化4年(1847年)に京都御所で開講された学習所(京都学習院)を起源とし、明治10年(1877年)に皇族・華族の為の教育機関として改めて開校されました。
第二次世界大戦後の昭和24年(1949年)に、新制大学としての学習院大学の開校され、現在でも、皇族が通う大学として広く知られています。
雑司ヶ谷鬼子母神堂
橋北側の地に祀られる鬼子母神(きしもじん)の御尊像は、室町時代の永禄4年(1561年)、雑司の役にあった柳下若狭守の家臣、山本丹右衛門が清土の地中から掘りだし、清土鬼子母神境内にある三角の井戸でお像を清め、東陽坊に納められました。
ところが、東陽坊の一僧侶が、その霊験顕著なことを知って、密かに御尊像を自身の故郷に持ち帰ったところ、意に反してたちまち病気になったので、その地の人々が大いに畏れ、再び東陽坊に戻したとされています。
天正6年(1578年)「稲荷の森」と呼ばれていた現在の地に、村の人々が堂宇を建て今日に至っています。
昭和35年(1960年)に東京都有形文化財の指定を受け、昭和51年(1976年)から3年かけて江戸時代の姿に復する解体復元の大修理が行われ、平成28年(2016年)7月には国指定重要文化財となりました。
進化し続ける街
鬼子母神の北に位置する池袋の街は、JR、私鉄、地下鉄と圧倒的なアクセスの良さで、常に進化を続け、住みたい街ランキングで毎年上位に入ってきます。
池袋駅を中心に大手百貨店やショッピングモール、大型電気店、書店などたくさんの大型店舗が並び、文化発信の拠点としても、劇場やホール街への変身が進んでいます。
商業ゾーンを少し外れると立教大学、東京国際大学、東京音楽大学などのキャンパスがあり、池袋は学生街としての側面も持ち、住民の憩いの場としての公園も充実していて多くの家族連れで賑わっています。
日頃、何気なく渡る橋にも、毎日通る道にも歴史ある風情が残っているでしょう。
是非この機会に、いつもの街を少し視点を変えて散策してみてはいかがでしょうか。