首都高速環状線竹橋ジャンクション下で、日本橋川を南北に跨ぐ「一ツ橋(ひとつばし)」は、江戸時代の一橋門跡近くに架かる大手町と神保町を繋ぐ重要な橋の一つです。
橋名は、徳川家康の江戸城入国の頃には、大きな丸木が一本架けられていたことが一ツ橋の名の起こりと伝えられています。
17世紀中頃には、近くに松平伊豆守の屋敷があったことので「伊豆殿橋」とも呼ばれていたこともあったようです。
現在の橋は、1925年(大正14年)11月に架けられたもので、古い一ツ橋の位置よりやや東寄りに架かり、長さ19.6m、幅28.0mの石及びコンクリ-トで造られています。
一橋家
一ツ橋近くにある一橋徳川家跡は、寛保元年(1741年)徳川八代将軍吉宗の第四子「宗尹(むねただ)」が江戸城一橋門内に屋敷を与えられたことが始まりとされています。
一橋家は、江戸城田安門内に屋敷を構える第二子「宗武(むねたけ)」の田安家と、江戸城清水門内の屋敷を構える吉宗の長男である第九代将軍家重の第二子「重好(しげよし)」の清水家と合わせて「御三卿(ごさんきょう)」と呼ばれ、将軍家に世継ぎ無く、尾張、紀伊、水戸の御三家にも該当者がいない時には、将軍を送り込める家柄で、十万石の格式を持ち、直属の家臣は持たない将軍家の身内として待遇さえていました。
出版の街
橋の北側神保町は、明治期以降に、多くの学校が周辺に建ったことから、学生を対象とした商店や飲食店が多数立地するようになりました。
特に明治10年代には、法律学校が相次いで誕生したことから、書店・古書店も続々と開店し、「神田古書店街」へ発展しました。
また、「有斐閣」「三省堂」「冨山房」「岩波書店」「主婦の友社」「小学館」「集英社」など、多くの出版社が周辺に建ち並んび、今では「出版(本)の街」として有名になりました。
東京屈指のオフィス街
橋の南側に建つ白い円筒が目立つパレスサイド・ビルディングは、国立代々木競技場、ホテルオークラなど、後世に語り継がれる建造物が相次いでつくられた1960年代において、オフィスビルの最高峰と言われていました。
その近くには、2021年2月に竣工した五大商社の一つ丸紅の新本社ビルが建ち、その奥大手町には、高層ビルが建ち並ぶ東京屈指のオフィス街が広がっています。
日頃、何気なく渡る橋にも、毎日通る道にも歴史ある風情が残っているでしょう。
是非この機会に、いつもの街を少し視点を変えて散策してみてはいかがでしょうか。