渋谷駅から都営バス都06系統「新橋駅前行」に乗って約20分程で四之橋バス停に着きます。
降りて直ぐの交差点右手の古川に架かる「四之橋(しのはし)」は、首都高速2号目黒線の下でひっそりとたたずんでいます。
橋名の由来
四之橋は、高輪の葭見坂から麻布本村に向かう古い街道筋にあったという伝承があり、初めて架橋されたのは江戸時代よりも前とされています。
江戸時代になって1630年(寛永7年)に、幕府の薬草栽培所が麻布側の坂の西に設けられると、御薬園橋と呼ばれるようになりました。
その後、薬草園に五代将軍綱吉の別荘富士見御殿が建設されることになって古川を改修した1699年(元禄12年)に、一之橋から四番目の橋であったことから四之橋と名付けられたとされています。
また、橋の西北角に土浦藩主土屋相模守の屋敷があった事で、相模殿橋とも呼ばれています。
江戸の風景
かつては浮世絵にも描かれたほどの江戸の名所であった四之橋。
歌川広重が1856年(安政3年)に描いた「名所江戸百景 広尾ふる川」には、橋のまわりに美しい草原が広がっています。
古川から白金台や恵比寿の台地に広がる斜面に民家はほとんどなく、草花が生い茂り、絶景とされていました。
草原では、春は摘み草、夏は蛍狩り、秋は虫の声を楽しむことができ、江戸の中心部から多くの観光客が訪れ、橋の南には茶店や料亭があったようです。
今では、高速道路の下で住民の為の生活道路となり、観光客が写真を撮る姿もほとんどありませんが、浮世絵に描かれた橋南詰の広場は、今も時計台広場という名で当時の面影を少し残しています。
薬園坂
四之橋が御薬園橋と呼ばれていた時代に、北側の坂は、薬園坂と呼ばれるようになりました。
坂の上まで歩くと、眺めが良く、日当たりと風通しもよく、植物の生育に適していたことを感じます。
五代将軍綱吉はその風情に目をつけ17世紀の末、別邸の建設が決まると薬草園は小石川に移転となり、今も続く小石川植物園の前身となりました。
薬草園が移転して300年以上経つ今でも、変わらずに使われている坂の名前に歴史を感じることができます。
橋の南側には商店街が通り、北側の坂の周辺には大使館や寺も点在して散策するのに面白い所です。
日頃、何気なく渡る橋にも、毎日通る道にも歴史ある風情が残っているでしょう。
是非この機会に、少し視点を変えて、いつもの街を散策してみてはいかがでしょうか。